最近とみに発達障害ネタ推しなのは、こういった一連のコミュニケーション障害の話では発達障害の分野の研究が圧倒的に科学的でよくまとまっていて洗練されているからです。育児においてもそう。「この育児論めっちゃいいわー」と一般向けの本を読んで実践してたら、のちに発達障害の子向けではだいぶ前から確立してたごく普通のメソッドだった、とかもあった。別に発達障害ではない人も参考になる方法論がごろごろしてるんだよ。ぽわーんとした根拠のない自己啓発コミュ論ブログとか読んでる場合じゃないよ。本屋で売ってる本を読もうよ。歴史を重ねて淘汰に耐えた実践的で役に立つ技法の宝島だよ。
さて、
三ヶ月前の記事なんですが、未だに脳内をぐるぐるしている件なので。
私はこの記事に対して、
「教えて下さってありがとうございました!」と「悪いということを知らなかったんだから」 - Ohnoblog 2b.hatena.ne.jp読みながら「自閉スペクトラム症の定型エミュレータが炸裂だな」と思ったら似た感想が散見。コメントからAさんが救われそうなので安心する。Aさん非難系ブコメが辛い。自閉スペはこう思われながら生きてるってことよ
2016/12/24 13:08
と脊髄反射しました。専門家でもないのにこの物言い、反省している。特に自閉スペクトラム症の定義は専門家でも意見が様々で適切ではなく撤回したい(定義厨)。
- 発達障害あるあるはそうではない人にとってのホラー
- Aさんは素直で正直者で真面目でも、責められるべき学生とされる
- 発達障害の正直者より、定型発達の嘘つきのほうが共感される?
- 「剽窃ってそんなに悪いこと?」
- 少数派は少数派の自覚を持って多数派に対処しよう
発達障害あるあるはそうではない人にとってのホラー
コメントに寄せられているように発達障害を疑ってそちら方面につないでみる方がいいと思う。
不可解なことはなんでもかんでも発達障害というレッテルはりかというわけではないが、発達障害という枠でみるとその人のいろんな行動がひとつながりで解けるというのはある。
上記トラックバックとまったく同意見です。レッテリ貼りはもちろんよろしくないですが、発達障害の文脈から説明すると非常にわかりやすくなる例なのではないでしょうか。というのも、AQテスト(
自閉症スペクトラム指数をはかるテスト→https://www.nise.go.jp/kenshuka/josa/kankobutsu/pub_f/F-112/05.pdf *1
)で自閉ラインを超える(一般社会人平均は20点いかないとか本気で言ってんの???というレベル)私ことASDとADHDの併発みあるヒューマンはAさんに深く共感し「『あるある』だなあ。その気持ちよくわかる」と思ったからです。で、発達障害あるあるかもしれない、ということは、前述のように洗練された対処法でAさんの人生の謎がわりと楽に解けるかもしれない、ということです。
ところが、コメントやブコメやTwitterを見ていると、共感を示している人が見当たらない。「発達障害じゃないでしょうか」という意見は上記ブログのように散見されますが少数派で、それ以上に「怖い」「ホラーだ」と理解不能とする声が数十件。そこで、ほとんどの共感ではない意見に対しての私の気持ちを書こうと思います。このAさんに対する共感が自閉スペクトラム特有の勝手な思い込みから来ている可能性も併せて考えつつお読みください(そもそも最初のブクマがそれだしな!)。
若者は社会からのメッセージに忠実に従っているのだ。つまり大人である私たちのしてきたことが、巡り巡ってもたらした結果だと言うしかない。
「教えて下さってありがとうございました!」と「悪いということを知らなかったんだから」 - Ohnoblog 2
そんな深刻に考えないでください。社会とか大人とか関係ないので安心してください。単なるあるあるです! そういう社会のルールや常識とされることを自然には身につきにくい人種というだけのことです!
このシチュエーションでは、Aさんの行為は悪いことで、出席取り消しを粛々と受け入れるべきなのは私も理解できますよ。Aさんよりだいぶ年寄りなのもありますし、創作に親しんできたのもあって剽窃が良くないというのは大学生になるより前には知っていました(私が創作活動してきたからたまたま早めに知った社会のルールであるという可能性はあると思います)。代返が悪いことなのも知ってました。ただ、記事のタイトルに代表されるようなAさんのとった態度に対しては全力で「わかるわあ……」なのです。
実はこの記事が書かれる一ヶ月前、まったく同じシチュエーションに遭遇しています。大学の単位がかかるような人生にクリティカルな影響を与える場面ではなく、たとえば職場の研修で「じゃあみんなでやってみましょう!」と挟み込まれる謎のゲームとかあるじゃないですか、そういう雰囲気の場を想起してもらえればと思うのですが、そこでAさんと同じ主張をしたかたがいたんです。「教えてくださってありがとうございます」「でも今回はそれがダメということを知らなかったんだから、権利を剥奪しないでください」。そのかたと同じことをした私は内心完全に同意でした。が、研修の講師のかたは絶対に許しませんでした。ほえーだめなんかい、厳密だな、とその場では思ったんですが、後日この記事を読んで「なるほどダメだね」と理解しました。特にソーシャルスキル系の研修だったしね。またひとつ社会性を手に入れたぞ!
「常識として受けいれろ」と言われましても、その常識が自然には身につきにくい特性というのがあるんです。「誰でも持っていそうな常識的な善悪の概念」と言われましても、それは誰でもは持っていないんです。「義務教育を終えた段階で知っていて当然の、身につけていなければならない常識が身についていない」私からするとみんなどこでそういう常識を身につけてくるのか本当に心の底から教えて欲しい。そういう「社会性のなさ」が発達障害の障害たる所以なのです。先天的な違いなので別に大人のひとたちの教育がどうのとか勝手に責任感じなくていいです、教えてもらえれば素直なものなのでそこは本当に「教えてくれてありがとう」なのです、教えてさえくれればいいんです。
ホラーとか怖いとか未知なる生き物への恐怖を訴えてるかたたちには、怖がらないでほしいけど、自分の理解できないものは怖いですよね。こういう真剣にペナルティを考える場でなければ、怖がるよりも面白がってくれたほうが嬉しいかなと思います。へー! そういうふうに思うんだ! おもしろいねー! とまず受け止めてもらえるのが助かるかもしれない。その上で諭す必要があるなと思えば諭してください。ほんと素直に聞くよ!(ここ書いたのけものフレンズ放映前なんですけど、みんな個々の違いを怖がらずにまず受け入れてくれる「すごーい!」「たーのしー!」の世界、マジ癒されます)
「教えて下さってありがとうございました!」と「悪いということを知らなかったんだから」 - Ohnoblog 2 https://t.co/r4tfhepN71 何かを知ってて当然という前提がもう崩れてるんよな。遭遇しなかった事からは学べないし
— よしだあつし (@yalab) 2016年12月24日
このかたは肯定的な書き方ではなさそうなんですが、「遭遇しなかったことは学べない」というのはもうその通り。その学習が間違ってるならまたそこで教えてくれればありがたいんです。「ダメなことなら最初に説明しておくべき」と言ってくださっているかたたちが一定数いて、それに対して「そんなとこまで配慮するとか」と絶望しているかたたちも一定数いらっしゃるのですが、明記しないとわからない少数派であろう人たちのために用意してもらえればそういう人たちがとても助かるのではないかという話なのです。これは目の見えない人のために点字ブロックをひいておくとか、外国の人向け公衆浴場の入り方の説明書きを壁に貼っておくのとかと同じようなことなんで、別にノーマライゼーションとかバリアフリーとか異文化コミュニケーションとか興味ないですって人は配慮しなくていい自由はもちろんあると思いますし、そこまでの配慮にさくリソースはないというのならそれも仕方ないと思います。こちら側としても皆さんを振り回して迷惑をかける一方かもしれないという自覚のある人がいるにはいます。大半は自覚がないと思いますが。いつもすみません。
後出しで勝手なルールを宣言して罰を与えるのと、形式的に区別できないんだよな。不正行為といっても所詮ローカルルールに感じる。
— 福冨諭 /(' - ' ;)\ (@fuktommy) 2016年12月22日
[学校]「教えて下さってありがとうございました!」と「悪いということを知らなかったんだから」 https://t.co/dUo7E66OaH
その通り「形式的に区別できない」から、Aさんは最後まで不服そうだったんじゃないかなと。
若者は社会からのメッセージに忠実に従っているのだ。つまり大人である私たちのしてきたことが、巡り巡ってもたらした結果だと言うしかない。
「教えて下さってありがとうございました!」と「悪いということを知らなかったんだから」 - Ohnoblog 2
再びここに戻ると、発達障害のような存在が怖いとあぶり出されてきたのは世間様が過剰にコミュ力を求めてくるようになったから、という意味での社会の鏡ということなら、あると思います。謝らなければいけないとこだな?と推測しては謝り、これは知らないことを教えてもらえたんだから礼を言わなければな?と過去の儀礼データベースから検索してはお礼を言い、キチョハナカンシャし、とすべて学習の結果なのです。
こういう感じの機械が一部の発達障害者の脳内にあって「社会でのおかしくないふるまい」を必死に日々トレースし計算していると思ってください。いやこれH-IIロケットのLE-7エンジンで計算機ですらないけど。すみませんとてもかっこいいので記事のアイコンとして使ってみなさんに見てもらおうと思っただけです。
Aさんは素直で正直者で真面目でも、責められるべき学生とされる
Aさんの「知りませんでした」が嘘か本心かは見分けがつきませんでしたが、後の学生の様子からはどことなく罪の意識がうかがわれました。その後、Aさん以外の三人は出てこなくなりましたが、Aさんは欠席もなく、授業についての質問もしてきたりしました。
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20161221/p1#tb
ひゅー! 定型の人ったら(とラベリングするのは良くないとわかってはいるんですが、露悪的に)悪いとわかってて悪いとわかってない子にやらせてたのね! とかこの顛末を見ると思っちゃいます。悪いとわかっててコピペさせててバレたらもう授業に来なくなる人たちと、悪いとは知らなくて先生や読者を渋面にさせたけどその後はおそらく悪いことだと学習して無欠席で質問するくらい熱心に授業を受けるAさんと。Aさんがなぜ出てこられるかというと、本当に悪い事だと知らなかったので、恥の意識などがないから。他の3人は体面の悪さを知っているから出てこられない。恥の意識がなく出てこられる、というところできっとまた「こえー!」という反応を受けそうですが、客観的にはまともな一学生のふるまいとなった現状でもAさんのほうが意味不明で現代社会の恐怖で罰を受けるべきで単位を取り上げるべきで排除されるべきで……と思われるのなら、わたしはこれからももうちょっと同類の人たちのために声を上げようかと思います。
実際に
今回はAさんの居直り方が非常識すぎるということでしょう。他の3人は出席しなくなったというので、3人の方が常識人かもしれません。
というコメントも出てましたし。
もし、Aさんが社会性をうまく身につけられない特性が本当にあって、Aさん自身はいたって真剣に、主観的には真面目にやってるだけなのにですよ、今回のように「女性はこのような意味不明な言い訳を時々しますよw」「考えるな! 逃げろ!」「生理的・自動的に、その手の学生を避けるようになります」「この手の学生に追いかけられると面倒ですね。怖いので、研究室のドアの所から入ってこないように対応します」「その学生がおかしいだけです」「Aさんみたいな人と接してると責任をすべてこちらに擦り付けられてるようで嫌になる」「ニンゲンじゃない感じ。。。」「真面目系クズ」「殴りてー」とブクマやコメント欄に書かれているような言葉で、日々Aさんにとってみたら意味不明に一方的にタコ殴りにされるとしたら。相当生き辛いであろうことは想像に難く無いです。
発達障害の正直者より、定型発達の嘘つきのほうが共感される?
今回読み直して一番距離を感じた部分が、ここです。
単位認定のレポートをネットからの剽窃で埋めた上で、コピペはしてないと言い張った学生のほうが、まだ理解できる。
その記事のブックマークには、不正をしたほうが「合理的」とか「得」だというコメントがある。
「教えて下さってありがとうございました!」と「悪いということを知らなかったんだから」 - Ohnoblog 2
私にはそんなゴネ得をゲットしにいく神経の方が理解できない。だって明らかに悪いことしてるじゃん! ブコメではその学生に少なからず賛意というか「わかる」「いるわー」的な声が寄せられてるようだ……? と訝しみながら見に行ったら、本当でした。
こちらのブコメには「怖い」「ホラー」みたいな反応がまったくないんですよ……。嘘を押し通そうとするほうが、正直に言っているだけであろうAさんの抗弁よりよっぽど一般に理解できる行動なんですね……。「言い張ったほうが得」の強引な突破力が社会では半ば見過ごされてる部分があって、それもコミュ力だと勘違いした発達障害がエミュレートして事故起こしてることがありそう。
コメント欄には
「単位認定のレポートをネットからの剽窃で埋めた上で、コピペはしてないと言い張った学生のほうが、まだ理解できる。」とありますが、これは事実と異なることを主張している時点で明らかに社会的な問題があると思います。
という意見がありました。同意なんですが、反応を見る限り、圧倒的少数派です。これを読んで思ったのは、「理解できる犯罪と理解できない犯罪を比べると、たとえ罪の大きさは同じだったとしても理解できない犯罪のほうが重い罪を背負わせられるのではないか?」という疑念です。実際に情状酌量という言葉があるわけですが、じゃあもしわたしが人には思考パターンを理解されにくい少数派だったとして(たぶんそうなんですけど)、「理解できないから情状酌量の余地なし」と判断されたとしたら……。発達障害と呼ばれる人たちは被害妄想が多いとされていますが、専門医の言う「被害妄想なんじゃなくて、本当に本人にとってはいわれのない被害を受けてきたんだ」という言葉が納得できる気がしています。
『後の二人はきまり悪そうな顔をしていた』とのことですので、
おそらく『後の二人』は問題の重要性は認識しているでしょう。むしろA君はゴーストライターにすぎず、少なくても著作権の観点からみると『後の二人』の方が非難の度合いは大きいと思われます。
というコメントにも同意なのですが、先の例から行くと、おそらく記事を書かれたかたは(もちろん全員を不正を働いた者としては平等に処理したとして)「『後の二人』の気持ちはわかる」ということでここでは問題にされてないのだろうな、と思います。
元記事を書かれたかたは「理解できない」という記事を書いて、私は「理解できる」という記事を書いて、突き詰めればただそれだけです。私はハイコンテクスト社会でローコンテクストな文化にも気を配る……という話に賛成なんです。が、どうもそういう方向では捉えていただけないようなので、「うーん、わかりあえないもんですねえ、おもしろいもんですねえ、人それぞれですね!」で終わりにしたいと思います。
「剽窃ってそんなに悪いこと?」
「剽窃がダメだとは知らなかった」というのはまた発達障害とは別問題でですね。これは常識として身についている人の思いのほか、理解しにくい常識なのではないでしょうか。キュレーションサイトが大勢のいい大人の手によって跋扈していた現実もともに見つめ直してほしい。
北海道新聞2016/12/24夕刊より。
NHK杯というのは高校放送部の最高峰の舞台です。甲子園です。最優秀賞なんか取った日には一芸系の入試に入り放題のやつです。その頂点に立ったテレビドキュメントの内容が、
学校の課題でタブーとされる「解答の丸写し」について取材、検証するという内容
「そんなに悪いこと?」という小さな疑問
だそうです。
もちろん常識を問い直すのがドキュメンタリーの重要な役割のひとつではあるのですが、素朴な疑問としてこれが題材として取り上げられることの意味を「当然の常識だろ!」と思っている側は考えたほうがいいな、と思います。
少数派は少数派の自覚を持って多数派に対処しよう
「教えて下さってありがとうございました!」と「悪いということを知らなかったんだから」 - Ohnoblog 2b.hatena.ne.jp
- [引用]
>アスペルガーとか発達障害(略)は、社会に適応できない人間にネガティヴなレッテルを貼ることによって、社会の安定性を保とうとする試みであるが、その社会自体が正常か否かについては全く判断を下すことができない
2016/12/25 21:23
こちらの引用元はコメント欄。デンマーク(初稿で国を間違えておりすみません。スペシャリスターネという会社です。
http://specialisterne.com/
)には自閉症スペクトラム(ex.アスペルガー症候群)を積極的に採用し7割の社員がアスペルガーというIT企業があります。そこで少数派として働く定型発達の人が見ている社会には興味があります。
そんで、
「教えて下さってありがとうございました!」と「悪いということを知らなかったんだから」 - Ohnoblog 2b.hatena.ne.jp文意を読め空気よめの同調圧力は誰も幸せにしない。ブ米にある罪刑法定主義の原則支持。常識ない若者の精神構造を多数派視点で分析するより、なぜ我々が当然に常識をもっているのか考えたほうが学者らしいと思う。
2016/12/26 13:00
このブコメがすきです(罪刑法定主義は置いておいて)。ほんと、社会の常識というものはどのように身についていくものなのでしょうか。
自閉症スペクトラムの割合は数%から多い統計だと16%という数字もあります。こういう記事に対する反応を見てるとまあまあそれくらいなんでしょう。自分が脳の思考において生まれながらに社会の少数派ならば自覚して生きていかねば、いつでもこういう俎上に上げられる下地があるということだな……と最近よく考えています。ただこういった生来の脳の働きが違う、という事例と関係なく人はいつでも少数派に陥ります。日本人がアメリカに行けば少数派の被差別者になったりします。自分が少数派に置かれたとき、立場を自覚して多数派の考えを学び対策を練るのはどこでも重要です。おもねるのではなく。少数派だから弱いというわけでもなく(その手の棍棒は捨てよう)。
「教えて下さってありがとうございました!」と「悪いということを知らなかったんだから」 - Ohnoblog 2b.hatena.ne.jpそういうのが本来的な意味での確信犯(正しいと信じて行った犯行)ですね。若者は知らないということは時に罪になり、罰も有るということを知るべきだ。
2016/12/21 17:39
がんばります(若者じゃないけど)
↓日々定義が変わったりするのでなるべく新しいものを読むようにしている中で、いま発達障害関連で最初の一冊を選ぶとしたらこれがおすすめです。素人向けでわかりやすい解説にとどまらず、自閉症をとりまく現象、特に最終章の「ループ効果」の話などは興味深いです。最初の章の著者(大学教授)が「AQテストでハイスコアを叩き出してるが私のことを精神科医は発達障害ではないという」といきなり発達障害の概念を揺さぶり考えさせられる話とかを挟み込んでくるのも良い。脳の個性に対して「治癒」って概念はどうなの、とか。社会適応してるならその人がいま発達障害と言われている特性の傾向があったとしてもそれは発達障害とは言えないだろうし、多くの精神疾患と同様で、社会生活が阻害されて初めて障害と呼んだほうがいいんだとは思うけど、「個性」推しで苦しんでる当事者の生きづらさが不可視化されるのもなー、などなど考えが尽きません。
- 作者: 金沢大学子どものこころの発達研究センター
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*1:JAVAで簡単に点数が出るサイトもあるので気になる方はお探しください。許可を取れば転載可能だそうですが、そういうサイトが許可取ってるのかわからないのでリンクしません